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人生の瀬戸際です

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今日の体重は 73.4kg  体脂肪率は 24.2%  でした。

 

最近はついにスラックスを夏用から冬用に変更しました。

ひと夏を越して久々に履いてみると・・・ウエストがキツイ・・・

ボタンを留めるのに息を止めてやっと留まるくらいに・・・

しゃがむと太腿の辺りの生地がパンパンでハチ切れそう・・・

色々と本当にヤバい・・・

ダイエットをするかスーツを買い替えるか・・・

人生の瀬戸際です(笑)

 

 

 

今日教えてもらった良いお話は

 

『勝者は決して諦めない。』
(ピートグレイ)
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ピートグレイは1917年生まれ
大リーグでプレーすることが
ピートの夢だった。
6才の時ある事故により
野球を断念しようと思った。
その時
お父さんが彼にかけた言葉
それが
「諦めるな、やればできる」
だった。
大リーグの世界は厳しい
下から
Dリーグ
Cリーグ
Bリーグ
ルーキーリーグ
Aリーグ
AAリーグ
AAAリーグ
そして
大リーグ
ピートは
父の言葉だけを信じ
努力を始める。
草野球チームに入るが
練習には参加させてもらない。
しかし
彼は不平をいわず
毎日玉拾いをし
一人で素振りの練習をする。
そして
そのかたわら野球学校へ通った。
その間
いろんな球団の入団テストを受けるが
すべて断られる。
しかし
ピートは挑戦をやめない。
黙々と練習を続ける彼の姿を見て
心を打たれたある先生が
Dリーグの監督に電話をかけた。
「うちにピートという
熱いやつがいる。見に来てくれないか」
Dリーグの監督が集まった晴れ舞台
ピートは全力でプレーを見せたが
どこの球団も彼を雇わなかった。
でも
ピートはめげず練習を続けた。
24才の時
セミプロ球団から声がかかった。
そこで
彼は素晴らしい成績を残した。
その活躍を見ていた
マイナーリーグの監督がスカウトし
ピートも期待に応え
打率0.381のトップ選手となった。
大リーガーになることを
決めているピートは
全くおごること無く努力を続ける。
1943年
AAAに昇格し
MVPを獲得。
そしてついに
1945年大リーグの
「セントルイスブラウンズ」が
ピートの採用を決定した。
ピートの初打席
1球目、空振り
2球目、空振り
3球目、空振り
ピートは3球とも全力で振り
見事な空振りに終わった。
その三振を見て
スタンドの観客達は総立ちになった。
それには理由がある。
ピートは6才の時
大好きな機関車を見に行って事故に遭い
右腕を根元から失っていた。
その時父親がかけた言葉が
「諦めるな」だっだ。
「あの時、彼から野球という夢まで
奪ってしまえば、
もう、彼には何も残らない。
「諦めるな」と言うしか
他になかったと。
その偉大な三振に
観客は惜しみない拍手を送った。
その後
ピートは大リーグを引退し
故郷の少年野球の指導し
87才で生涯を閉じた。
彼がいつも子どもたちに語っていた。
「体に障害をもつ者にとって
練習こそが全てだった。
でも
たとえ練習しても
自分にやってくるチャンスは
わずかなものだった。
ある時こう言われたことがある。
「両方の腕があっても
野球をするのが難しいのに
片腕で野球なんか
できるわけがないだろう」
それでも諦めず
自分は常に夢に向かって練習した。
大好きな言葉は
『勝者は決して諦めない。』
(ピートグレイ:片腕の大リーガー)
毎月の目標達成は甘くない。
順調にいかない時は落胆して
諦めそうになる。
その時
「勝者は決して諦めない」
の言葉を思い出す。
自分は勝者だから
決して、決して、決して
諦めない。
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