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クールネックバンド買いました

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今日の体重は 72.1kg  体脂肪率は 23.9%  でした。

 

今日も朝から夏期講習です。

私の座っている場所は昔家の縁側だったところなので夏は暑く、冬は寒い・・・

今年もこの暑さなのでエアコンかけても私の場所は暑い!!

だから今年はクールネックバンドを買ってみました。

1回で3時間持つとのことで、昼からの夏期講習にはぴったりの時間です。

で、今日初めて使ってみた。

冷凍庫から取り出しっ首に巻き付けると・・・冷たくてメチャ気持ちいい!!最高!!

な気分は5分くらいで・・・その後は微妙な温度・・・ないよりは良いがそれほど効果は感じない(笑)

しかも1時間半くらいで全て液体に・・・商品の問題か?私の体温が高いのか??

とりあえず、しばらく使ってみます(笑)

 

 

 

今日教えてもらった良いお話は

 

「君ができる限り」
君ができるすべての善を行え
君ができるすべての手段で
君ができるすべての方法で
君ができるすべての場所で
君ができるすべての時に
君ができるすべての人に
君ができる限り。
(ジョン・ウェズリー「行動の規準」より)
———
昭和39年
日本国内は金融引締めによる不景気で
松下電器系列の販売会社や代理店は
赤字経営に落ち込んでいた。
そんな中
幸之助は「実情を聞きたい」と言いだし
全国の販売会社・代理店の社長約200人を
熱海のホテルに招いて懇談会を開催した。
販売会社の中には赤字はおろか
資本金500万円なのに1億5000万円もの
欠損を出しているところもあったが
そんな会社へも、松下電器は製品を供給。
いわゆる押し込み販売が行われていた。
だから
懇談会では松下電器に対する不満が続出。
「親の代から松下製品を扱っているが
さっぱりもうからない。
それどころか損が出ている」
「売り方や商品が悪いのではないか」
社長たちは次々に厳しい意見を口にした。
幸之助が
「この中でもうかっているところは」と
手を上げさせたところ
約30人が挙手。
残りの170人は赤字で苦しんでいた。
幸之助は
代理店社長の努力不足が原因と考え
「皆さんは苦労しているというが
血の小便が出るまで苦労したのでしょうか」
と反論し、代理店社長の志の弱さを指摘した。
お互い一歩も譲らず
2日の予定を1日延長。
しかし
3日目となってもまだ苦情はやまない。
そこで
幸之助は
壇上から次のように語りかけた。
「お互いに言い分もありますが
2日間も十分言い合ったのだから
もう理屈を言うのはよしましょう。
よくよく考えれば
結局は松下電器が悪かった。
この一言に尽きると思います。
皆さん方に対する
お世話が不十分でした。
30年前
皆さんのところに
「今はまだ幕下ですが将来は
きっと横綱になってみせます。
だから
どうかこの電球を売ってください」
とお願いして回り
大いに売っていただきました。
今日
松下電器があるのも皆さんのおかげです。
私のほうは一言も文句を言えた
義理ではないのです。
心を入れ替えて出直します」
幸之助の目から涙がこぼれた。
その場にいた社長たちも泣いている。
攻撃的であった会の雰囲気は一転し
協力と団結を誓い合う場となった。
その後
相談役だった幸之助は
営業本部長代行として現場復帰し
陣頭指揮。
適切な改革を行なって
業績を見事に回復させた。
実は
この時に幸之助はSMIを採用している。
創業49年目幸之助69歳のときだった。
人生では
何度か困難にぶつかり
八方ふさがりのような
状況に追い込まれるときある。
そんな時
偉人の方たちは
どうやって解決していったのか?
その答えは
結局のところ一つ。
それが
「できる限りのことをする」
これに尽きる。
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