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今日の体重は 71.1kg  体脂肪率は 23.5%  でした。

 

今日も面談でした。

今日は高校受験をする保護者の方とお話しすることが多かったです。

最近は安全策を選択する保護者や生徒が多いのですが、今日は攻めの姿勢が多かったです。

生徒と保護者で希望する高校は違う場合が多いのですが

最終的には生徒の意見を聞いてあげると良い結果になる場合が多いですね。

だから今日も生徒の意見重視でアドバイスしました。

ただ、保護者が迷っているようにその生徒には弱点もあるので

そこをフォローして合格させて、入学後もサポートするのが私たちのお仕事です。

頑張ります!!

 

 

 

今日教えてもらった良いお話は

 

幸せなら手を叩こう
幸せなら手を叩こう
幸せなら態度で示そうよ
ほらみんなで手を叩こう
——
日本人なら誰もが知っている歌
「幸せなら手をたたこう」
改めて歌詞を読んで
大事なところを発見した。
歌は坂本九さんだが
詞は木村利人さんという方が
1959年
戦争の傷や憎しみが残るフィリピンで
現地の青年たちと平和を誓った体験を
もとに作詞されたものだという。
当時
早稲田大学学院生だった木村さんは
フィリピンYMCAの農村復興
ワークキャンプに参加した。
日本軍は欧米の植民地支配下にある
アジア人を助けるために戦った
と教えられていた木村さんは
現地の人に快く迎えられる
と思っていたが真逆。
払いのけられるような雰囲気。
離れて見るだけで近づいてこない。
刺すような眼差し。
その原因は
一部の日本軍がフィリピンで
虐殺や暴行など残虐行為を
してしまっていたからだ。
地元ガイドに
村中を案内してもらうのだが
どこに行っても
「日本人は子どもも女性も関係なく
無抵抗な市民を虫けらのように殺戮した」
という話を聞かされた。
戦後14年経っても
人々の痛みや悲しみは和らぐこともなく
日本への恨みや憎しみが渦巻いていた。
そんな中
現地の青年たちとワークキャンプに
参加することになり約1カ月
寝食を共にしながら
農村援助のための土木作業をした。
共に汗を流して働き
朝夕の礼拝では聖書を読んで祈り
話し合う。
そんなキャンプ生活を送った。
しばらく経った頃
ラルフという青年が
木村さんに話しかけてきた。
「僕たちは日本人が来たら
殺してやりたいと思っていた。
でも
君が戦争でフィリピンの人を
殺したわけじゃない。」
「今日は君が新しい世代の日本人として
再び武器をとって戦わないように
誓う出発点にしよう」
ラルフは
家族全員を戦争で亡くしていた。
にもかかわらず
「神の名によって赦す」
「私たちはキリストにあって友だちだ」
と言ってくれた。
お互いに
涙を流しながら祈りをささげた。
その時に読んだ聖書が
「詩篇」47章
「すべての民よ、手をたたこう」
この時の体験が後の
「幸せなら手をたたこう」の
作詞につながった。
幸せだから手をたたくのではない。
手をたたくから幸せになれるのだ。
幸せになりたいなら
幸せな人がやっているのと
同じことを今やりなさい。
態度で示しなさい。
ということではないかと感じた。
望む状態があるのなら
まずその状態を態度で示そうよ!
理想の自分があるのなら
その理想を態度で示そうよ!
ほら!みんなで
———–