岡山工業高等学校に行ってきました

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今日の体重は 73.5kg  体脂肪率は 24.1%  でした。

 

今日は11月7日の説明会に備えて岡山工業高等学校に訪問して色々とお話を聞かせていただきました。

岡山工業高等学校の先生は大変親身になってお話をしてくださいました。

大変参考になりました。

正直学校??先生??によっては塾の講師に対して冷たい方もいるので・・・時々心が痛みます(笑)

卒業後の進学や就職についても具体的にお話してくださり、

高校入試についても私たちや保護者の方が全く気付いていなかったことを教えてくださいました。

本当に感謝です。

内容は・・・11月7日の説明会で!!

岡山工業高校の説明時間は他の学校よりも長くなりそうです。

次は朝日高校、操山高校に行ってきます。

日曜日には一宮高校の先生がわざわざ塾に来てくださいます。

来週は情報収集に奔走します。

 

 

 

今日教えてもらった良いお話

約300年前のこと。
後藤艮山(ごとうごんざん)
という漢方の名医がいた。
12時も過ぎたある真夜中
1人の女性が訪ねてきた。
『よろず屋』の嫁女である。
「先生、一生のお願いです。
毒薬を1服盛ってください」
ただならぬようすだ。
「なにに使うのか」
「お母さん(姑)に
死んでもらうのです」
『よろず屋』の嫁と姑の
犬猿の仲は評判だった。
よく心得ていた艮山は、
断ったら嫁が自害する
と見てとった。
「よし、わかった」
しばらくして艮山は
30包の薬を渡し
神妙にこう言った。
「1服で殺しては、
あなたがやったとすぐバレる。
あなたは磔(はりつけ)私も打ち首。
そこで相談だが
この30包毎晩1服ずつ飲ませるのだ。
30日目にコロリと死ぬように調合した」
喜んで帰りかける嫁女に
艮山先生、なおもこう諭す。
「わずか30日の辛抱だ。
お母さんの好きなものを食べさせ
やさしい言葉をかけ
手足をよくもんであげなさい」
翌晩から嫁女は
言われたとおりを実践した。
1カ月目の夜
いつものようにもみ終わると
お姑さんが立ち上がり
驚く彼女に両手をついて
こう言った。
「今日はあなたに
あやまらねばならないことがある。
今まできつくあたってきたのは
代々続いた、この『よろず屋』
の家風を一日も早く身につけて
もらうためであった。
それがこの1カ月
あなたは見違えるように
生まれ変わった。
よく気がつくようになってくれた。
もう言うことはありません。
今日かぎり
一切をあなたに任せて
私は隠退します。」
己の心得違いを強く後悔し
艮山先生へ駆けこんだ彼女は
「先生、一生のお願いでございます。
毒消しの薬を早く早く作ってください」
涙ながらに
両手をついてたのむ嫁女に
艮山先生、大笑い。
「心配ないよ。
あれは、ただのソバ粉だよ。
ハッハッハッ」
(高森顕徹著「光に向かって」より)
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こんな話もある。
↓↓↓
ご主人が脱サラをして事業を始めた。
しかし、商売が下手、能力がない。
奥さんの方が商売のセンスがあるので
教えてあげるが全く聞く耳をもたない。
それどころか、その反対をする。
そんなご主人に対し
奥さんの口癖は
何で、そんなことがわからんの!
何でそんなことするの!
本当に能力ない!
バカじゃないの!
1回痛い目に遭わないと
この人はわからない!
痛い目に遭いなさい!
その結果
事業はうまくいかず
借金の山、極貧状態
どん底になって
奥さんが気付いた。
「私の心のままになっている」
大きく気づいた奥さんは
逆をすることした。
次の言葉を紙に書いて
朝晩、音読をはじめた。
↓↓
私の主人は素晴らしい人です。
大成功する人です。
人間性も素晴らしく
自他ともに幸せにする人です。
本当にありがとうございます。
自分がパートに出る様になっても
家計の足しに少しでもなれば
という思いで働き
料理も主人が健康になるように
美味しいと喜んでもらえるように
といった具合だ。
しばらくして
ご主人は事業をたたんで再就職した。
50歳を過ぎての転職で最初は
20万くらいの給料だったが
奥さんは態度を変えず続けた。
すると
その会社で必要な技術をたまたま
ご主人だけが持っていたため
急ピッチで給与が上がり
なんと100万を越えるようになった。
気の合う人合わない人
言うことを聞いてくれない人
文句ばかり言ってくる人
毒薬を盛りたい人
自分がそう感じている人は
自分にとって何か大事なことを
教えてくれている人だ。
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