40点台が86点に!!

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今日の体重は 71.2kg でした。
体脂肪率は 21.1%
今日は中間テストの結果が返ってきた生徒さんがいました
その生徒さんは中学3年生で9月終わりごろから通塾始めました。
そのお子さんは数学だけを受講したいとのことでしたので集中的に頑張りました。
すると・・・今回は86点でした!!
以前は50点弱だったようなので40点アップです!!
計算ミスしてなかったら90点台に乗っていたのに・・・
目標の80点超えたのですが悔しい結果になりました。
わずか1か月での急上昇!!
その秘訣は企業秘密ですが
私の魔法だけではこれほど上がりません。
必ず必要なものは・・・「素直さ」です。
こちらが指導したことを素直に受け入れて実行することです。
もう一つがわからないところを素直に質問できることです。
彼女には両方がありました。
良かった良かった。
今日教えてもらった良いお話は
ずいぶん前(2006年頃)日経新聞
「私の履歴書」作曲家の遠藤実さんの掲載が
面白くて、はまったことがある。
2008年76歳で亡くなるまで
作曲された曲は約5000以上の大作曲家
代表作は『高校三年生』『星影のワルツ』
『くちなしの花』『こまっちゃうナ』『せんせい』
などだがヒットした歌謡曲は数え切れない。
新潟生まれの遠藤さんの家はとにかく貧乏
家には電気がなく、天井もない
冬になると屋根板の隙間から雪が落ちて
雪で湿った布団を頭からかぶり
吐く息で暖をとったという。
学校の弁当はいつも大根
服装も貧相なものしかなかった。
14歳で紡績工場に就職したが
歌が好きだったので楽団に入団し
星幸男として歌手デビュー
しかし楽団もすぐに解散し
その後は日雇い仕事などで食いつなぐが
歌手になりたかったので
17歳の時、家族に黙って上京する。
酒場で「流しのえんちゃん」として
歌手をスタートするが稼げない。
18歳の時に結婚し、新居は畳1畳の間借り
夫婦の持ち物はちゃぶ台に鍋と夫婦茶碗だけ
その間オーディションを受けるが落選が続く
あるとき審査員の
「あんな汚い格好で、しかもあの顔で
歌手になれると思っているのかね」
の陰口を聞いてしまい。
レコード会社の連中は、外見で判断していたのか
だったら歌手は諦める。作曲家になると決意
それから、作曲家として猛勉強をし
上京して10年後1958年26歳の時に
からたち日記(島倉千代子)が大ヒットする。
当時記事を読んでいて1番感動したのは、
遠藤さんは、
どんなときでも屈託無く明るい
どんなに貧乏でも、生活に困っても
他人にイジメられたり、馬鹿にされても
どんなときでも屈託無く明るい
当時の写真も多数掲載されていたが
どんなときでも屈託無く明るい
どの写真も表情はいつも笑みを浮かべていた。
そしてなによりも、好きな歌の道で
生きていこうというブレない信念があった。
最後に、遠藤さんが「幸せが逃げていく人」
は次の15に分類されるのではと書いてあった。
↓↓↓
・不平不満が多く常に暗い人
・感謝の気持ちを素直に表せない人
・嘘を重ね約束を守らない人
・自分をかばうために恩人を悪く言う人
・人さまに働く場所を与えられている事に気づかない人
・地位だけを欲しがり責任を他人に転じる人
・わずかな事で恩を着せ大きなお返しをのぞむ人
・この世で起きたことはこの世で解決できるのを知らない人
・人さまに与えることを惜しむ人
・自分をかばい過信して職をたびたび変える人
・自我を通すために暴力や裏取引を使う人
・意見を求められても堂々と答えられない人
・仲間はずれのときこそ反省と前進の機会だと思わない人
・愛と時と金銭を粗末にする人
・健康な身体をありがたいと感じない人
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遠藤さんの生い立ちと人生結果を知って
この教えを読み直すと言葉が一段と心に
沁みわたる。
時と金銭の前に「愛」があるところが
どんなときでも屈託無く明るかった
遠藤さんらしい
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