今日の体重は 72.6kg でした。
体脂肪率は 23.2%
今日は今年度最後の土曜授業でした。
今年から授業形態を変更して受験対策しました。
9月当初は少し上手く進まないときもありましたが
今日終わってみて例年よりも良い出来だったと思います。
私が説明するだけでなく生徒自身の演習時間を増やしたのが今年の特徴です。
ただ、説明時間が減ったので私の喋る時間が少なかったのが少し残念です(笑)
でも、生徒の学力は絶対に今年の方がついたと思います。
受験まであと数日頑張ります。
今日の良いお話は
希望します。
昭和63年、昭和天皇最後の新年一般参賀のお言葉は、
「新年、おめでとう。
皆の元気な姿に接し、悦ばしく思います。
私の健康について、心配してくれてありがとう。
どうか、今年もよい年であるように、希望します。」
でした。
天皇陛下は、必ず「希望します。」
という言葉で最後を締めくくられます。
同じ望むということでも、
希望と願望と欲望は、違うようです。
例えば、のどが渇いて水がほしいとき、
普通は、「水が欲しい」と言いますね!
「水」が飲みたいのですから、
「水が欲しい」「水を求める」「水を願う」
欲求であり、欲望であり、願望です。
では、「水を希望します」といったらどうでしょう?
希望するということは、水を用意してくれる相手がいるということで、
「誰かに」水を希望する。ということですね!
「水が欲しい」ということで満たされるのは、
生理的な、のどの渇き、生き物としての欲望です。
これに対して、「希望が叶えられる」場合は、
生理的な欲求というより、相手に聞き入れてもらえたということになります。
自分の願いが理解され、尊重され、しっかりと応答してもらえた
ということに満足があるということになります。
ですから「水を希望します」というのは、
「水を、誰かに、希望する」
「水を、自分の手もとに、もってきてくれることお願いする」
つまり、「水」ではなく、誰かが「水をもって来てくれること」
を望んでいるということになります。
例えば、「金メダルを希望します」という場合、
「何としても欲しい」という自分勝手な我欲ではなく、
私は金メダルにふさわしい人間に努力してなるので、
金メダルを持つことを許して欲しい。
許可してほしい。という感じですね!
・希望の大学
・希望の仕事
・希望の会社
・希望の相手
などは、すべて自らで切り開いて手に入れていくもので、
希望は、期待とは違います。
期待は、他人任せ、受動的ですが、
希望は、主体的で、能動的なものです。
願望や欲望は、「何を持つ」という感じですが
希望は、世間から認められて、「ふさわしくなる。」
という感じがします。
私は、年収○○○万円を切に希望します。
私は、家族の幸せを切に希望します。
私は、NO.1を切に希望します。
私は、○○を、切に、希望します。
「切に、希望します。」
いい言葉ですね!