今日の体重は 72.8kg でした。
体脂肪率は 23.2%
今回、山陽新聞の「読者cafe」という企画に載せていただきました。
文章を書くのは苦手なので恥ずかしいのですが・・・
写真写りが悪いのでさらに恥ずかしいのですが・・・
そして、この冊子はいつ、どのように配られるのか??
不明なのが気になります。
そして、今日はさらに塾の広告宣伝を強化するお話が出てきました。
なかなか良いお話なので少々費用が頑張ってみようと思います。
また、完成したら報告します
今日の良いお話は
ある子育て真っ最中の母親に、大問題発生!
その対応ぶりは大変強いものでした。
修羅場になって初めてわかるメンタルの強い人と弱い人。
彼女はとっても強い人でした。
聖書に「弱い時こそ強い」
という御言葉があります。
弱い時に強い!というのは、逆説で、それはおかしい!違う!
反対じゃないかと思ってしまいます。
しかし、急がば回れなどといわれるように、
急いでいる時は、慎重にゆったりした思いで行動するのが1番早道です。
人生には、このように逆説的な真理があるようです。
女性は男性に比べると弱い存在です。
昨日の方も子育て真っ最中で、時間的にも、精神的にも、経済的にも
余裕などありませんから、弱い人です。
今は専業主婦ですから、何か特別な才能や能力・・・
ということでもありませんから、弱い人です。
しかし、とっても強い人でした。
力がみなぎっていました。
エネルギーの塊という感じでした。
母は強し!と言ってしまえば、
一般的過ぎる表現になりますが、
大変たくましさを感じました。
人間離れした鉄人のような人ではありません。
それとは真反対の女性ですが、
その弱さが強さになっていました。
変な話ですが自分の弱さを誇りにしているようにも見えました。
この強さはどこから出てくるのか?
それは、「我が子を守る」という目的が
ハッキリ鮮明になっているからだと感じました。
目的と目標を持った人間は、ホント強いです。
弱いけど強いです。
反対に目標のない人。見失った人間は、
どんなに強く見えても弱いです。
「弱い時こそ強い」
なぜ強いのか?
それは、神に祈るからですね。
人間は必死になった時、目に見えない力を信じて祈ります。
その結果、神、仏、潜在意識、大自然、宇宙霊など
いろいろな表現はありますが「大いなる力」をお借りすることができ、
強い存在になることができる。だから強いということですね!
最後にコリント第二12章7節から10節を
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「また、その啓示があまりにもすばらしいからです。
そのために私は、高ぶることのないようにと、
肉体に一つのとげを与えられました。
それは私が高ぶることのないように、
私を打つための、サタンの使いです。
このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、
三度も主に願いました。
しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』
と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、
弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。
なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」
主があえて取り除かれない「棘」があります。
私たちの弱さは、自分の力や知恵ではどうすることもできないことによって、
かえって主に拠り頼むようになるのに必要なものなのです。
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