TOP » 楽しいサンプリングのお手伝い

楽しいサンプリングのお手伝い

 |  |  | 0

今日の体重は 73.0kg でした。
体脂肪率は 23.4%
今日は大きな段ボールが送られてきました。
その中身は
DSC_0601.jpg
何と大量のカロリーメイト!!生徒数分の210個のカロリーメイト!!
そういえば、以前お会いした東京の塾の先生がサンプリングの
協力のお話をいただいていたのをスッカリ忘れていました。
生徒もカロリーメイトもらって喜んでました。
アンケートも面倒くさがるかな??と思いましたが
意外にアッサリと書いてくれました。
塾同士のつながりで色んなことが広がりますね~
明日も頑張ります
今日の良いお話は
92歳で逝った森光子さん自作の川柳に
「あいつよりうまいはずだが なぜ売れぬ」
というのがあります。
森光子さんは、女優としてはずいぶん遅咲きだったそうです。
大正9年京都生まれ。
歌や踊りが好きで、将来は「女優になりたい」と思っていましたが、
13歳の時に母と父が相次いで他界したため、学校を中退して働くことになりました。
13歳、映画界へ入りましたが、5年間脇役ばかりの日が続きました。
ある若手映画監督と恋愛してプロポ−ズを受けましたが、
悩んだ末に「やっぱり女優として一人前になりたいんです」と言って断りました。
すると婚約破棄の噂は撮影所で広まり、
「何様のつもり!?」と言われて冷遇されたりしました。
そして太平洋戦争が始まり、映画界も打撃を受けました。
27歳、終戦後、母と同じ肺結核になり2年間の闘病生活を送ることになりました。
当時結核は死の病と言われていたので、女優の道を諦め、生きる希望も失ってしまいました。
そんな時にラジオドラマを聞いて、「もう一度芝居がしたい、生きたい!」と思いました。
33歳、ラジオドラマや喜劇女優として、再び表舞台に復帰しました。
36歳、朝日放送「びっくり捕物帳」にレギュラ−出演。
37歳、「あまから人生」という舞台に出演していた時、
突然8分間のアドリブ芝居をすることになり、
それを見ていたのが当時一番人気の劇作家の菊田一夫さん。
彼から「東京へ出てこないか?」と声をかけられ、上京することになりました。
でも、「芝居は面白いけど、やっぱり脇の人だね」と言われました。
それから森さんは必死になって演技の練習をするようになり、
菊田さんから「ずい分稽古したみたいだね、良くなったよ」
と言われるようになりました。
そして、
41歳、「放浪記」で初主演。
初演中に肺炎になりかけながら楽屋に酸素吸入器を持ち込み、
主役の座を手放さなかったといい、これを機に大女優への地位を確立していかれました。
デビュ−から実に29年後のことです。
2009年5月29日の上演が最後となり、
2017回の単独主演記録を達成。
日本演劇界の金字塔を打ち立てた訳です。
41歳で初主演。
デビューから約30年
長かったですね‾
良くあきらめなかったですね‾
ホント遅咲きです。
「あいつよりうまいはずだが なぜ売れぬ」
森さんのお気持がよく伝わります!
同じ思いをされている方が多くいると思います。
「あいつより有能なのになぜ昇進できぬ」
「あいつより上手はずだが なぜレギュラーになれぬ」
「旨いのに、なぜ売れぬ」
「頑張ってるのに、なぜもうからぬ」
「必死で伝えてるのに、なぜ実らぬ」
といったふうに・・・。
しかし、森さんの「なぜ売れぬ」が、ただの恨み節でしたら、
「大女優」にはなられていなかったと思います。
売れてる人と自分とは、
どこが違うのだろう?
どこをどうすれば???
森さんの「なぜ売れぬ」は、足を止めず挑み続け、
自問自答していたのだと感じます。
大器晩成型の人達には共通点が2つあります。
・1つのテ−マを長期間追求する。
・才能よりも努力の継続が重要。
挑み続けることが頂点への唯一の道。
挑み続けることが逆境を乗り越えるための唯一の道。
挑み続けることが輝きを失わない唯一の道。
自分の可能性を信じて挑み続けることができる人のことを
かっこいいっていうんじゃないでしょうかね?