今日の体重は 70.8kg でした。
体脂肪率は 22.7%
張っていたいたお腹も落ち着き、病院に行くとまだ完治ではないですが
そろそろ食事してよいでしょう。とのこと
6日ぶりに食事しました。
美味しかった~
で、この期間で3kg痩せることが出来ました。
不幸中の幸いです
今日は中1の授業でした。
最近、単語テストの合格率が良くなってきました。
出来なかったときに居残りさせたり、別の日に来てもらったりして
「覚える癖」を身につけてもらいました。
もうひと踏ん張りすれば単語テストは楽勝になると思います。
毎年この癖を付けさせるのが大変ですが、今年は人数が多かったので特に大変でした。
さー次の問題解決に取り掛かりましょう!!
今日の良いお話は
永い人生の中に必ず2~3人、コロしたいほどに憎らしい人が出てくるはず・・・・。
しかし、最後にはその人たちに感謝しなさい。
なぜなら、その人たちを見返すために・・頑張った
自分にとっての糧となったはずだから・・・。
(藤山寛美)
1959年(昭和34)藤山寛美さん(30歳)はTV&舞台で超売れっ子でした。
当時大卒の初任給が2万円という時代に80万円
今の額にしますと月給1000万円以上を手にしたそうですので、
その人気ぶりがどれだけだったか想像がつきますね!
寛美さんの豪遊伝説はあまりに有名です!
・一晩で飲み代800万円。現在の価値にすると何千万円
・初めていく銀座のクラブのドアマンに「車」をプレゼントしたり
・ホステスの着物にあやまってお酒をこぼしてしまい、その場にいた全員のホステス
の着物をプレゼントしたり
・タクシーは、たとえワンメーターでも必ず1万円を払っていた(当時初乗り100円の
頃)
などなど、数えきれないほどです。
しかし、その羽振りの良さは、やがて借金となり、昭和41年
寛美さん37歳の時、借金は13億まで膨れ上がり、
とうとう松竹をクビになります。
寛美さんがいなくなると、松竹新喜劇はすっかり客足が遠のいてしまいました。
いろいろ手を尽くしますが客足は一向に戻ってきませんでした。
お客さんは、やはり藤山寛美を観たかったのですね!
寛美さんの方も任侠映画に出たりして食い繋いでおりましたが
舞台に立てない現実に苦悶する日々を送っていました。
結局、松竹は、寛美さんの莫大な借金を肩代わりすることで
寛美さんを舞台に呼び戻すことになった訳です。
寛美さんが戻った松竹は、息を吹き返します。
松竹新喜劇復帰公演は大盛況!!
舞台にもどった寛美さんの演技は、まさに水を得た魚。
日本全国どこでも巡業、1カ月30日のうち25日間、
昼3本、夜3本、一日6本もの公演をこなし、
残りの5日は次の公演への稽古に当てていたそうです。
このハードスケージュール1ケ月でもすごいのに、
寛美さんは実に20年間、無休で続け、世界の演劇史上例を見ない、
244カ月連続無休公演という大記録を打ち立てました。
凄まじいですね(-_-;)
世界で最も有名なミュージカルのひとつで、
連続公演回数の新記録を打ち立てた『オペラ座の怪人』の公演回数は約7500回。
それに対し、寛美さんは3万回以上。しかも、「オペラ座の怪人」の場合は、
途中で役者は何度も入れ替わっていますが寛美さんは一人。
同一人物で3万回以上という記録がどれほどの偉業か(≧▽≦)
膨大な借金も19年間かけて完済。
しかし、お金になるからと言って、CMの話があっても
「舞台に来られお客さんを笑わせて返す」
と一切断っていたそうです。
1990年5月21日享年60歳
『笑い』に全てを賭けた寛美さんの人生は幕を閉じました。
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永い人生の中に必ず2~3人、
コロしたいほどに憎らしい人が出てくるはず・・・・。
しかし、最後にはその人たちに感謝しなさい。
なぜなら、その人たちを見返すために・・頑張った
自分にとっての糧となったはずだから・・・。
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4歳から60歳までの56年間、舞台にすべてを注ぎ込まれた
天才喜劇役者 藤山寛美さんの原動力、モティベーションの根源が
感じとれる言葉です。