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吉備システムの大勉強会

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今日の体重は 72.4kg でした。
順調に太ってる・・・
昨日は吉備の大勉強会に参加させていただきました。
いろいろな先生のお話に刺激を受け、より良い塾作りにこの情報を役立てようと思います。
そのお話の中で一番ためになったのが、アメリカに住まわれてお子さんを育て、
早稲田大学で講義をされたこともある先生のお話しでした。
ポイントは二つ。
一つは、これからのグローバル社会に生きていくために必要なことの一つが
英語での会話力であることは皆さん知っているが、文章力がないと留学生活も就職も出来ないということ。
もう一つは、アメリカって大学に入るのは簡単で出るのが難しい と、昔から聞いていたので
小学から高校まではあまり勉強せずノビノビ学生生活を送り、大学に入ったら切り替えて勉強するのだ
と、思っていました。
が、実態は違うらしく、小学生の時から学校の宿題が山のように出てそれを消化するのだけでかなり大変だそうです。だから、アメリカには塾というものが無いそうです。通塾する時間など無いそうです。
納得がいきました。
と、いうことは、世界で小学時代に勉強していないのは日本くらいなもんですか?
って、話になりました。
かなり参考になるお話を聞かせていただきました。
ありがとうございました。
今日の良いお話しは
目が見えなくても絵は描ける
(エムナマエ)
全盲のイラストレーター
エムナマエ(本名:生江雅則なまえまさのり)
1948年東京生
元々画家をしていたのですが
糖尿病の悪化で1986年(38歳)に
失明し一度絵を諦めます。
全盲になり、
画家としての人生が終わったと
失意のどん底。
家の中でも八つ当たりをするようになり
奥さんに愛想をつかされ離婚
一人ぼっちになってしまいます。
そして糖尿病で何度も病院に入退院を繰り返す生活。
ある日、看護婦さんから
「凄く上手な絵を描かれてたんですね
今は書かないんですか?」 と言われます。
失明しているエムナマエさんは、
頭にきて言い返します。
「書きたくても書けないんだよ!!!何も見えないんだから!!」
ここで、看護婦さんから言われた一言で、
エムナマエさんの人生が変わります。
看護婦「目が見えなくても手があるじゃないの!」
「絵は上手じゃないといけないの?」
その瞬間エムナマエさんは頭に雷が落ちた様な
衝撃が走ったそうです。
その日からクレパスを使いながら
また絵を書きはじめます。
そして、1990年
全盲のイラストレーターとして復活されます。
同じ年エムナマエさんは再婚をしますが
その方が、あの看護婦さんなんです。
画家が目が見えなくなったら、
もう絵は描けないと思ってしまいますが
そんなことはない!
やればできるという事を証明してくれています。
人間には無限の可能性があるという事を
私たちは自分の人生において証明する
義務と責任があると感じました。
最後にエムナマエさんのお言葉を
「見えるから見えないものがあるんだよ
僕は見えないからこそ見えるんだ」