今日はハリ治療してきました

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今日の体重は 朝 70.8kg  
          昼 69.8kg
でした。今日の体重は昼の方で・・・
今日は12月にアイススケートで転倒した時に痛めた手首の治療のためハリ治療に行ってきました。
よーくわからないもんで、胸や足などにもハリを刺してくださいました。
どうやら神経が張っているので、緩めることが狙いだそうです。
おかげさまで痛みがひきました。良かった良かった。
が、しかし、金曜日にまたテニスしたら痛くなるんだろうなー
今日はインフルエンザでの欠席が増えて一つの授業がありませんでした。
そのため、雑用が少し済みました。
でもまだまだあるので頑張らなくては・・・4月以降の準備に追われています。
そして中3の授業・・・
英語の長文にはだいぶ慣れてきたようですが、問題の解き方を解説すると
みなさん新鮮な顔で「へーーー」って反応です。
教え甲斐があるような、こんなことも知らないのか?という驚きもあり何とも複雑な心境です。
数学は入試問題の文章量に負けて問題を考えず、即座に解からないと決めつけ無回答
解説すると、「あっそんなんでいいんだ!」みたいな反応でした。
このレベルの問題を解説せず基本問題ばかりしている塾の生徒さんはどのようにしてこの文章量の壁を
乗り越えるのでしょうか?疑問です
今日の良いお話は
偉人の価値は責務にある
(ウィンストン・チャーチル)
ある記事を読みました。
***
3月11日の津波が去って一か月ほど経ったある日です。
30代半ばの女性が二人の男の子を連れ、
思い詰めた表情で石巻本署にやってきました。
生活安全課勤務の本橋修巡査が応対しました。
椅子をすすめると、女性は途端に涙をこぼし、
こう切り出したのです。
「私、実は被災したお店から水や食料を勝手に持ち出したんです」
女性は声を上げて泣き出し、
つられて二人の男の子も大声で泣きます。
すぐに本橋巡査は状況を察しました。
自身、救援物資が入ってくるまでは食べるのものも飲むものもなく、
目がくらむような辛さを味わっていたからです。
女性は言葉を続けます。
「食料も水も足りるようになって、
悪いことをしたのにこのままではいけない、
と悩むようになりました。
子供たちが正しく生きていくためにも責任を取らなければ、
と考えて警察にきたのです」
女性の正直さは本橋巡査の胸を打ちました。
同時に、困惑で体が固まってしまいました。
場合が場合です。
それは人として責められないでしょう」
その台詞(せりふ)が喉(のど)から半分出かかりました。
一市民として、そう言いたいのは山々です。
だがしかし、と押しとどめるものがありました。
警察官の制服を着ている自分が強く意識されたのです。
自分はなんのためにこの制服を着てここにいるのか…
本橋巡査はあえて強い口調で言いました。
「自ら出頭してきたことはいいことですが、
いかなる状況でも窃盗(せっとう)は犯罪です。
店舗が被災した上に商品まで盗まれた被災者のことを考えてみてください。
あなたのしたことが分かるはずです」
厳しく注意し、事件の詳細を聴取し、以降の措置(そち)は
被害者と連絡がついてからになると告げ、親子を一旦帰しました。
署を出て行く親子の後ろ姿を見送ると、
自分は出頭してきた女性の勇気に応えたのだ、
真摯(しんし)に警察官の務めを果たすことができたのだ、
という思いを噛(か)みしめました。
と同時に、引き裂かれるような辛さも膨らんできました。
しかし、いかなる場合でも一つの例外も残さないのが
仕事の鉄則、すべて正しく法に則(のっと)った措置をするのが警察官です。
本橋巡査はそっと窓口を離れ、奥に行って窓に寄り添いました。
にわかに涙がこぼれ落ちて止めようがなくなりました。
(月刊致知 2014年1月号より)
***
「子供たちが正しく生きていくためにも責任を取らなければ」
という勇気ある母親の背中を見たこの二人の男の子は、
この出来事を一生忘れることはないでしょう。
この先大きくなって何か勇気が必要になった時、
逃げ出さず、お母さんと同じように責任ある行動が
とれる立派な人間になられることだと思います。
また、本橋巡査のことも忘れないでしょう。
その本当の意味がわかる日は、もう少し大人に
なってからかもしれませんが
本橋巡査の警察官としての勇気も心に刻まれたはずです。
もしかしたら将来、警察官になられるかもしれませんね!
我が子が生きるか死ぬかという時は、
盗んででも食べさせる。
しかし、我が子が正しく生きていくために
自分の行為を悔い改め、出頭する。
お母さんのとった行動は、真逆であり、
相反することですが、どちらも同じで、
すべて子供のためです。
本当のやる気
真の強さ
ゆるみない信念
といったものは、
このお母さんのように
一番大切なものを最も大切に考えるとき
生まれてくるものなのだと感じました。