旗振り当番第2章

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今日の体重は 68.4kg でした。
頑張れ俺!いい感じで維持してます。
今日は朝から小学校の旗振り当番でした。
立っているとゴミ出しに来られた知らない奥様と天気についてお話しし、
卒業生のお母さんに会い立ち話し、
郵便局の方ともお話をし、
通学してきた小学生には笑われ、
車で走行中の知り合いはビックリしてこちらを凝視し事故りそうになり・・・
と、楽しい旗当番でした。
今日の授業は中2でした。
方程式の利用の難しいところでしたがみんな頑張ってくれていました。
ありがとう!!
期末テストに向けて頑張ります。
今日の良いお話は
安易な道は効率的だし時間もかからない。
困難な道は骨が折れるし時間もかかる。
しかし、時計の針が進むにしたがって、
容易だった道が困難になり、
困難だった道が容易になるものだ。
(カーネル・サンダース)
皆さんよくご存知
ケンタッキー・フライド・チキンの
創業者のカーネル・サンダースさん
1890年生まれ
5歳で父を亡くし、
10歳から農場に働きに出る。
13歳で家を出て都会で様々な職業を経験。
その数、なんと20以上
37歳ケンタッキー州にあったガソリンスタンドが
経営者を探していることを知り、
店を預かることになります。
経営者となったサンダースは、
ほかの店より2時間も早い、
朝5時に店を開くと車の窓を拭くサービスなどで
評判となり繁盛店に!
しかし、ガソリンスタンドを始めてから2年後
世界大恐慌で店を手放します。
でもサンダースの目覚ましい働きぶりは、
ある石油会社の耳に届いて
翌年、別のガソリンスタンドを経営することになりました。
サンダースは、空腹でやってくる客のため、
ガソリンスタンドの隣にあった倉庫を改造。
テーブル1個だけの小さなレストランに作り替え、
その名も『サンダース カフェ』
49歳のとき、独特の調合で
ケンタッキーフライドチキン誕生!
ガソリンスタンドを手放し、
レストラン経営に専念。
その矢先、10年かけて、
徐々に大きくしていった自分の店が全焼。
火災から2年後
座席数150席のサンダースカフェを復活。
サンダースは51歳。
第二次世界大戦の混乱を乗り越え、
着実に店を大きくしていくが
またもや悪夢が!!
マイカーの増加。
自動車を持つ人が増えたことで、
新たな道路の整備が進み、
サンダースカフェの前は交通量が激減
62歳にして倒産の危機。
25年に渡り経営してきたサンダースカフェを売却。
そのお金は全て借金の返済にあてられ、
サンダースは65歳にして全てを失ってしまいます!!
しかし、クヨクヨする間もなく
車に圧力鍋やチキン、
そして特性のスパイスを積み、
本格的にフランチャイズ店を探す旅に出ます!!
だが・・・門前払いの毎日。
セールスの旅を始めて1年が経過したころから
フランチャイズの問い合わせが
次々舞い込むようになって、
3年間で200ものフランチャイズ店が誕生
65歳で無一文になってから挑戦を始め、
見事に成功を収められました。
そして1980年、肺炎により90歳で人生の幕を閉じますが
その数日前まで料理の指導を行っていたそうです。
恐ろしいくらいの挫折を乗り越えたカーネル・サンダースさん!
その原動力となったのは、
幼い頃、母親から教わったある教えだったそうです。
その教えとは、
『ベストを尽くし、人の喜ぶことをする』
というおもてなしの心を大切にしなさいという教えでした。
10歳のとき、家計を助けるため、
農場に働きに出ることになったのですが、
仕事に集中していないという理由で
1か月足らずでクビになってしまいます。
サンダースはそのことを母に正直に打ち明けます。
するとその時、母親は、
「仕事に必要なのは一つだけ、
ベストを尽くし、人の喜ぶことをする」
と諭されたそうです。
お母さんのその教えがサンダースの胸に深く刻まれ、
一生忘れることのできない信念となり、
どんなことがあっても、
決して諦めない強い心の持ち主に・・・
ホントに素晴らしいです。