今日の体重は 75.1kg 体脂肪率は 25.3% でした。
今日は岡山南高校と玉野高校に行ってきました。
今日も色々とお話が聞けました。
県立高校の先生はあまりお話してくれないのですが
毎年行って色々と質問してみて、少しずつお話してくれる内容を組み合わせていると何となく全体像が見えてきます。
今日もある1つのことがだいたいわかりました。
また皆さんにお話しますね。
今日教えてもらった良いお話は
《それは誰の生き方か》
以前、ある言葉が心に残った。
「相手が自分をどう扱うかは、相手の生き方。
その扱いにどう反応するかは、自分の生き方。」
私はこの言葉が好きである。
なぜなら、
人間関係で苦しくなった時、
「それは誰の問題なのか」
を分けて考えることができるからだ。
人から嫌なことを言われる。
約束を破られる。
大切にしていた人から、
思ってもいなかった態度を取られる。
一生懸命やったのに、
感謝されない。
誤解される。
批判される。
そんな時、
感情が動くのは当然である。
腹が立つ。
悲しい。
悔しい。
「なぜ、そんなことをするんだ」
と言いたくもなる。
私もそうである。
しかし、
そこで一つ立ち止まってみる。
相手が何を言うか。
相手がどんな態度を取るか。
相手が自分を大切にするか。
それは、
相手が選んだ生き方である。
そこまで、
私が背負う必要はない。
では、
私に残されているものは何だろう。
それは、
「その出来事に、
私はどう反応するのか」
である。
相手が怒鳴ったから、
自分も怒鳴り返す。
相手が無視したから、
自分も無視する。
相手が陰口を言ったから、
自分も陰口を言う。
そうすると、
いつの間にか自分の生き方まで、
相手に決めてもらうことになる。
これは、
もったいない。
相手がどんな人間であるかと、
自分がどんな人間でありたいかは、
別の話である。
相手が礼を失ったからといって、
自分まで礼を失う必要はない。
相手が誠実でなかったからといって、
自分まで誠実さを捨てる必要はない。
相手が感情的だからといって、
自分まで感情に支配される必要はない。
ただし、
何でも許せという話でもない。
我慢し続ける必要もない。
嫌なものは嫌でいい。
離れた方がいい相手からは、
離れてもいい。
言うべきことは、
はっきり言えばいい。
必要なら、
「私はその扱いを受け入れません」
と境界線を引けばいい。
大切なのは、
何をするにしても、
相手への反射だけで決めないことである。
「ふざけるな」
「見返してやる」
そんな感情が湧くこともある。
それも人間である。
まずは、
その感情を感じればいい。
しかし、その次に、
もう一つ問いを持ちたい。
「私は、この人と同じ土俵に立ちたいのか?」
そして、
「この場面で、
私はどんな人間でありたいのか?」
怒るのか。
黙るのか。
距離を置くのか。
許すのか。
断るのか。
真正面から話すのか。
選択はいくつもある。
その中から、
「相手がこうしたから」
ではなく、
「私はこういう人間でありたいから」
という理由で選ぶ。
ここに、
自分の人生を生きるということがあるのではないだろうか。
考えてみれば、
人生には自分で決められないことが多い。
人が自分をどう評価するか。
人が自分を好きになるか。
人が自分を理解してくれるか。
人が自分に何を言うか。
それらを、
完全にコントロールすることはできない。
しかし、
その時の自分の生き方まで、
相手に渡す必要はない。
人生のハンドルは、
最後まで自分が握っていればいい。
相手が自分をどう扱うかは、
相手の人格が表れる。
その扱いにどう反応するかは、
自分の人格が表れる。
だから、
人間関係で感情が大きく動いた時ほど、
すぐに反応する前に、
一度だけ自分に問いかけてみよう。
「これは相手の生き方か、
それとも私の生き方か?」
そして、
「相手はさておき、
私は誰でありたい?」
この問いを持った瞬間、
相手に握られていた人生のハンドルが、
自分の手に戻ってくる。
誰かの態度によって、
自分の生き方まで変えない。
相手がどうであろうと、
最後は自分で、
自分の生き方を選ぶ。
それが、
本当の意味で自分らしく生きるということなのかもしれない。
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ワンフレーズ
「相手が自分をどう扱うかは相手の生き方。その扱いにどう反応するかは自分の生き方。」
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