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計算力ない

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今日の体重は 74.6kg  体脂肪率は 24.7%  でした。

 

最近の生徒は計算力がない・・・

ある中学2年生は32-25.5の計算を筆算でします。

がしかし、位が合ってなくて右詰めにしていて計算できず、

上下を反対にしてさらに混乱し、

もう一度戻して位がそろっても小数部分への繰り下がりができてなくて合わない・・・

中学受験を狙う小学5年生は6.12÷10を筆算で計算する・・・

他の小学5年生は筆算では計算合ってるが、式を書かせると「割る数」と「割られる数」が逆・・・式書けない

さらに他の小学5年生は割り算の筆算で「割る数」と「割られる数」のどちらを筆算の中に書くか?わからなくなってる・・・

最後に中学1年生の女子は8÷20を2.5と計算してきた・・・逆・・・

今日一日でこれだけの計算間違い。

マジで計算力ヤバい・・・

 

 

 

 

今日教えてもらった良いお話は

 

悲しみや嘆きや絶望を知っている人だけが
本当の意味での喜びや希望を
自分の手につかむことができる。
(五木寛之:不安の力より)
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地震で災害に遭った人は
同じように地震に遭って
困っている人を見たら
じっとはしていられないだろう。
家族同然のペットを亡くした人は
同じようにペットが亡くなった人を見て
じっとはしていられないだろう。
大きな失望や落胆を経験した人は
同じようにどん底を味わっている人を見て
じっとはしていられないだろう。
それは
地震で受けた悲しみや恐ろしさを
ペットを亡くした寂しさや辛さを
どん底で味わった惨めさや絶望感を
確かなものとして
自分の体に刻み込まれているから
他人事ではないのだ。
だから
じっとはしていられない。
本来
「知る」ということは
頭のなかで理解している事ではなく
体の中に染み込んでいて
行動の原動力になるもので
単に知っているということではない。
「頭の知る」から「体の知る」へと
変化したものだけが
「確かな知力」となって
人間の行動を引き出し
人生を豊かにしていく。
確かな知力をもった人間は
「食べ物や水はあるか」
「寒くはないか」
「何が不足しているだろうか」
「命を助けてあげられなかったことを悔やんでないか」
「喪失感で何も考えられなくなってはしないか」
「自分を責めてはいないか」
「人間不信になってはいないか」
「人生を投げ出そうとはしていないか」
「お金に困ってはいないか」
など
人を思いやる純粋な気持ちが自然と湧きおこり
それを源泉として行動するので
相手に感謝と感動の気持ちを起こさせる。
そして
その実感が今度は逆に
自分自身に喜びや新たな希望をもたらしてくれる。
人間はこうして
確かな自分の存在を意識したとき
自分が自分である事を実感できた時に
本当の意味での喜びや希望を
自分の手につかむことができる。
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