良い傾向です

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今日の体重は 74.1kg  体脂肪率は 24.0%  でした。

 

今日も面談でした。

多くの面談に来られた保護者に進学のアドバイスや学校選びについてお話しました。

あるお母さんは

「大学入試まで考えて中学選びするなんて思っていませんでした。

中学によってこんなに違いがあるのも知りませんでした。目からうろこです!!」

と喜んでいただけました。

その他にも高校受験する生徒さんが私の「高校を出る時が大切だよ!!」というアドバイスを

真剣に考えて大学受験に悩み相談に来ました。

良い傾向だと思います。

他には通塾している生徒ではなくそのお兄ちゃんやお姉さんの相談も受けました(笑)

今日も色々と役立つお話が出来たので良かったと思います。

 

 

 

今日教えてもらった良いお話は

大きな仕事を成し遂げる人の陰には
偉大な母がいる。
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1971年創業、富山県・石川県を
中心に北陸地方随一の冠婚葬祭
チェーンを育て上げた
オークスグループの創業者故奥野博氏
昭和42年40歳のとき
会社を倒産させてしまう。
奥野は30歳の時に兄弟親戚に
金を出してもらい
室内設計の会社設立。
仕事は順調だったが
全国展開を考え
有頂天になり破たん
自殺も考えたが死にきれず
部屋に閉じこもり
なぜこういうことになったのか?
「あいつがもう少し金を貸してくれたら」
「取引先が手形の期日を延ばしてくれたら」
「あの部長がヘマをやりやがって・・・」
「あの下請けが不渡りを出しやがって」
など浮んでくるのは、恨みつらみばかり。
倒産の原因はすべて他人のせい。
築き上げた地位や名誉が地に落ち
悔しさだけがこみあげて
血管がはち切れそうになる。
そんな生き地獄の渦から
抜け出すきっかけが
母の言葉だった。
以下(『致知』「命の呼応」より引用)
↓↓↓
父は私が幼いころに死んだのですが、
その33回忌法要の案内を受けたのは、
奈落の底に沈んでいるときでした。
倒産後
実家には顔を出さずにいたのですが、
法事では行かないわけにいかない。
行きました。
案の定
しらじらとした空気が寄せてきました。
無理もありません。
そこにいる兄弟や親族は
私の頼みに応じて金を用立て、
迷惑を被った人ばかりなのですから。
(針の莚(むしろ)ですね)
視線に耐えて隅のほうで
小さくなっていたのですが、
とうとう母のいる仏間に
逃げ出してしまいました。
(そのとき、お母さんはおいくつでした?)
84歳です。
母が「いまどうしているのか」
と聞くので、
「これから絶対失敗しないように
なんで失敗したのか
徹底的に考えているところなんだ」
と答えました。
すると
母が言うのです。
「そんなこと、考えんでもわかる」
私は聞き返しました。
「何がわかるんだ」
「聞きたいか」
「聞きたい」
「なら、正座せっしゃい」
威厳に満ちた迫力のある声でした。
「倒産したのは会社に愛情がなかったからだ」
と母は言います。
心外でした。
自分のつくった会社です。
だれよりも愛情を持っていたつもりです。
母は言いました。
「あんたはみんなにお金を
用立ててもらって
やすやすと会社をつくった。
やすやすとできたものに
愛情など持てるわけがない。
母親が子どもを産むには
死ぬほどの苦しみがある。
だから
子どもが可愛いのだ。
あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
だから、あんたが一番可愛い」
母の目に涙が溢れていました。
「あんたは逆子で
私を一番苦しめた。
だから、あんたが一番可愛い」
母の言葉が胸に響きました。
母は私の失態を
自分のことのように引き受けて、
私に身を寄せて悩み苦しんでくれる。
愛情とはどういうものかが
痛いようにしみてきました。
このような愛情を
私は会社に抱いていただろうか。
いやなこと、苦しいことは
すべて人のせいにしていた
自分の姿が浮き彫りになって
くるようでした。
「わかった。お袋、俺が悪かった」
私は両手をつきました。
ついた両手の間に
涙がぽとぽととこぼれ落ちました。
涙を流すなんて
何年ぶりだったでしょうか。
あの涙は
自分というものに気づかせてくれる
きっかけでした。
倒産したのは
会社に愛情がなかったから
本当にお母さんの言う通りだ。
自分の扱っている
商品やサービスが思い通りに
売れないのは、
愛情不足以外何者でもない
モティベーションは
愛情から生まれるもの。
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