必要性は変わらない

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今日の体重は 72.2kg  体脂肪率は 23.4%

今日は小学生が3名プログラミングの体験に来てくださいました。

今年度から小学校の授業の中に組み込まれました。

当初は教科になるという話もあったくらい必要性が高かったのですが

設備が整わない、指導する先生がいないなどの理由から教科にならず・・・

教科書にも各教科に僅かに載っている程度・・・

しかし世界ではかなり力を入れているらしい。

だから文部科学省は教科にしたかったのではないか??と思っている。

教科にできなかっただけで必要性は変わらないと思う。

このような教科こそ塾で学んでほしいです。

英会話もそうですが・・・

 

 

今日教えてもらった良いお話は

【信じる】
先週、女優の芦田愛菜が『信じる』と言う事について、質問された時のコメントだ。
『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、
『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、
その人自身を信じているのではなくて、
『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて。
だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、
別にそれは、
『その人が裏切った』
とかいうわけではなくて、
『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに、
『それもその人なんだ』と受け止められる
『揺るがない自分がいる』というのが
『信じられることなのかな』って思ったんですけど。
でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。
だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、
理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました。
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『信じる』と『当てにする』の違い。
当てにするということは
依存することかと思う。
依存心、依頼心は否定的。
依存すると言うことは
自分軸ではなく相手軸。
ある目的達成のために
当てにすると、外れた時に落ち込む。
しかし、依存しない考え方は
外れても自分で責任を取るという心構えであり
そもそも当てにしてないからそれが外れても落ち込まない。
信じるというのは自己責任が伴う。
信じるというのは自分の潜在能力を信じることだ。
信じたのも全て己の自己責任だという考え方。
責任転嫁の考え方だと自分は悪くない、
信じた人が悪いんだとなる。
全て自己責任の考え方に立つ事が積極思考なのだ。
芦田愛菜さんは心構えが変わった。