今日の体重は 71.9kg でした。
体脂肪率は 23.2%
さすがに絶食中なので体重は減ってきました。
でも、絶食だと体力がもたないですね。
少し働くと燃料切れになります。
まー本来なら入院中ですから当たり前ですよね。
今日は中1の授業でした。
まー宿題をしない・・・
あきれて物が言えないとはこのことでしょうか?
さらには計算問題の途中式を書かない・・・
直しを各自でさせているのですが、理解できないところで質問に来るように
伝えているのですが、答えだけ写してきます。何度注意しても・・・
こんなんで学校の宿題などは機能しているのでしょうか?
かなり疑問です・・・
この数々の難題を頑張って乗り越えていきます。
今日の良いお話は
わたしは物事に対して5段構えを立てている。
ひとつにつまずけば、すぐに第二へ。そして第二がつまずけば、
第三へと用意した策をもって応じていくようにしている。
わたしの経験からして、大抵の問題は五段まではかからない。
(シャープ創業者 早川徳次)
戦後日本経済を支えてきた家電企業が苦境の中にあります。
中でもシャープの経営状態は厳しいようですが
シャープの創業者早川徳次氏はものすごい方です。
1893年、東京の下町に生まれ、
家業の衰退と母親の病気のため、わずか2才半で養子に出されます。
5歳の時、養子先の養母が亡くなり、
その後、後妻となった継母から想像を絶する虐待を受けます。
殴る、蹴るは当たり前、真冬に便所の糞つぼに突き落とされた事もあったそうです。
小学校2年で中退させられ、丁稚奉公へ
8才の時、奉公先をかざり職人に変わり、
金属加工や色々な技術を身につけ、一人前の職人に。
18歳の時、ズボンのベルトに、穴を開けずに使えるバックル
「徳尾錠」を発明します。
(写真をお見せできませんが今でも私たちが使ってるやつです。)
この発明で新案特許を取り、19歳で独立します。
そして、22歳の時に画期的な商品、
あのシャープペンシルを考案されました!
事業は順調に拡大し、結婚して子供も授かりました。
「早川兄弟社」は、大正12年、従業員数200名の会社に成長します。
順風満帆、事業は完全に軌道に乗ったかにみえた30歳の時に、
関東大震災で、工場・営業所をすべて焼失。
更に最愛の妻と二人の子供も一瞬に失ってしまい残ったのは莫大な借金だけ。
そして、借金返済のために大切な特許も売却し、元の無一文に。
その後の日本は、恐慌となり、第二次世界大戦へと突入。
経営者としては絶望的状況、最悪の状況になってしまいました。
どんなすごい人でも、こうなりますと人生終わり・・・
となってしまうところですが、早川さんは違ってました。
どん底の中から、ラジオの開発に取り組み、国産初の鉱石ラジオを発売し
このラジオは爆発的に売れます。その後、電卓、TV等商品を手掛け大企業へ。
穴を開けないでベルトを締められるバックル。
シャープペンシル。電卓など真似のされない商品を生み出し続けました。
昭和55年86歳で天寿を迎え、
その訃報を聞いて深夜にも関わらず真っ先に駆けつけたのが
松下幸之助氏だったそうです。
この頃の松下幸之助翁は体も弱っており、
秘書に両脇を抱えられ、早川氏のご遺体の脇に座ると、
しばらく亡骸とお話をしていたそうです。
晩年、早川氏は、色紙を求められると必ず、
「なにくそ」
と書いたそうです。
どんなに苦しくても、いじめられても、
最悪の状況になっても絶対に負けない。
「なにくそっ」と思って頑張る。
今となっては、死語に近い言葉かもしれませんが
「なにくそっ」
「なにくそっ」
「なにくそっ」
と自分を鼓舞して頑張りぬく
大切ですね