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中3は顕著に・・

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今日の体重は 72.3kg でした。
体脂肪率は 22.5%
今日は中3の授業でした。
期末テストも近づいてきたので昨年の問題をさせてみました。
中3はやはり結果がそれまでの学習の内容を反映させていますね。
キチンと勉強できてた生徒はすでに良い点数がとれています。
宿題をしない、復習をしない、答え合わせの時にわかったフリをしている などなどの
生徒さんは40点から50点くらいになっておりました。
さーこの1週間でなんとか仕上げなくては!!
来週のメニューはすでに決まってます。
頑張ってもらいます
今日の良いお話は
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」
(宮沢賢治)
宮沢賢治の有名な詩
「雨ニモマケズ、」には、
実在のモデルがいらっしゃったことを
初めて知りました。
斎藤宗次郎さんという方で、
1877年岩手県花巻市のお寺の子供として生まれ、
のちに小学校の教師になり、1900年に洗礼を受けます。
この時代、キリスト教は世間から迫害を受けていた頃でしたので、
親からは勘当され、教師も辞めるはめになります。
また、親がキリスト教だということで
長女がいじめに遭い腹を蹴られ、
腹膜炎を起こし9歳で亡くなります。
普通なら、仕返しをしたり、
迫害のない違う土地へ移るところですが、
宗次郎さんは、そうはしませんでした。
職が亡くなりましたので、毎朝三時に起きて
牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達。
10メートル走っては神様に祈り、
10メートル歩いては神様に感謝を
ささげていたそうです。
宗次郎さんは、文字通り、雨にも負けずの働きぶりで
風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、
働き続けました。
本当に「木偶の坊(でくのぼう)」と言われながらも
その生き方と言いましょうか、生きる姿勢を
貫き通していらっしゃった訳です。
そして、26年後の1926年(50才)その献身的な生き方が
思想家でキリスト教伝道者の内村鑑三氏の目に留まり、
東京に引っ越すことになりました。
花巻の地を離れる日、宗次郎さんは、
「誰も見送りには来てくれないだろう」
と思っていたそうですが
駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、
学校の教師、生徒、神主、僧侶、
一般人や物乞いにいたるまで、
身動きがとれないほど集まり、
駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで
徐行させるという配慮をしたほどだったそうです。
実は、その群衆の中に若き日の宮沢賢治もいて、
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の詩が
誕生したという訳です。
私は、この話は、まったく知りませんでした。
素晴らしい生き方ですね!
役に立たなくなったものは、世間から捨てられます。
物でも、人でも、会社でも、なんでも
人様の役に立たなければ存在することはできません。
宗次郎さんは最初嫌われ、そして「木偶の坊」とバカにされ、
何の役にも立たないと思われていましたが
そうではなかったんですね!
***
雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに、
よく見聞きし分かり、そして怒らず
野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、
東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、
日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなに木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず、
苦にもされず そういう者に私はなりたい